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第3代サウサンプトン伯爵ヘンリー・リズリー(, 、1573年10月6日-1624年11月10日)は、イングランドの貴族。 ウィリアム・シェイクスピアのパトロンだったことや第2代エセックス伯ロバート・デヴァルーの側近だったことなどで知られる。 == 経歴 == 1573年10月6日、第2代サウサンプトン伯爵とその妻(初代の娘)の間の長男としてサセックスのに生まれる。 1581年に父の死により爵位を継承した〔。ケンブリッジ大学と法学院で学んだ後、1590年頃から女王エリザベス1世の宮廷に仕えるようになった。 文芸者の保護に熱心であり、特にウィリアム・シェイクスピアのパトロンだったことで知られる。シェイクスピアの『ヴィーナスとアドーニス』と『ルークリース凌辱』は金銭援助のお礼としてシェイクスピアからサウサンプトン伯に献呈されたものである。 宮廷内では女王の寵臣である第2代エセックス伯ロバート・デヴァルーの側近であり、1596年から1597年にかけてのエセックス伯のカディスとアゾレス諸島への遠征に従軍した。 1598年にはエリザベス女王の女官であるエリザベス・ヴァーノンとひそかに結婚したことで女王の不興を買い、エセックス伯の弁護もむなしく、一時彼女とともにフリート監獄に投獄されている。 1599年3月から9月にかけてエセックス伯率いるアイルランド反乱鎮圧軍に従軍した。この際エセックス伯はサンサンプトン伯を鎮圧軍の騎兵隊司令官にしようとしたが、女王が許可しなかったため、エセックス伯の個人的友人として従軍することになった。しかし結局この鎮圧軍は反乱鎮圧に失敗しており、エセックス伯とサウサンプトン伯は9月にもロンドンへ逃げ帰ってきた。エセックス伯への女王の寵愛もいよいよ失われ、宮廷内の権力はロバート・セシルに傾いていった。 不満を抱くエセックス伯派は1601年1月末から2月初旬にかけてサウサンプトン伯の屋敷に集まって陰謀を企てるようになり、2月8日にもクーデタを決行した。しかしその日のうちに鎮圧されてエセックス伯とサウサンプトン伯はロンドン塔に投獄された。二人は2月19日に裁判にかけられ、大逆罪で死刑判決を受けた。このときエセックス伯は自らの死刑を受け入れる代わりに若いサウサンプトン伯に女王の慈悲がほしいと乞うた。これが功を奏したのか、サウサンプトン伯はロンドン塔終身投獄に減刑されている。 1603年にエリザベス女王が崩御してジェームズ1世が即位するとただちに釈放された。剥奪されていた爵位も回復し、1604年からはに就任した〔。さらにかつてエセックス伯が所持していたワイン輸入税の独占権も手に入れている。 1605年からはバージニア植民地や東インド会社の経営などに参加して主に植民地関連で活躍するようになる。 三十年戦争に志願兵を率いて従軍していた際の1624年11月10日にオランダのベルヘン・オプ・ゾームで戦病死した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘンリー・リズリー (第3代サウサンプトン伯)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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